先週末(7日)、バレーボールの北京五輪男子世界最終予選第で、
全日本男子はアルゼンチンに3−2で勝利し、通算成績5勝1敗でアジア首位を決め、
1992年バルセロナ五輪以来、16年ぶりの五輪切符をつかんだ。
中学、高校とバレーボールに青春のすべてをかけてきた私にとっては、
我がことのようにうれしい出来事だ。
私がバレーボールを始めようと思ったのは小学生の4〜5年生。
当時、ミュンヘン五輪を目前に空前の男子バレーボールブームが日本国中に沸き起こっていた。
私は当時の全日本の監督だった松平康隆氏(現バレーボール協会の名誉会長)を崇拝しており
小学生ながら氏の著書はすべて読破していた。
中でも代表作の「負けてたまるか!」は私が少年期から青年期にかけての人格形成に
多大なる影響を及ぼしたと自覚している。
ミュンヘン五輪では連日深夜、テレビの前で声が嗄れるまで応援した。
とくに準決勝は世界一といわれた名選手ズラタノフを擁する強豪ブルガリア戦。
バレーボール史に残る死闘に決着をつけたのは、全日本の若きプリンス嶋岡のブロックアウトを狙った
スパイクだった。
その瞬間の映像は未だにくっきりと記憶の中に刻み込まれている。
そしてこの試合が、中学から高校卒業までの6年間私が夢中にバレーボールを行うきっかけになった。
私は現在でもミュンヘン五輪で金メダルをとった12人すべての選手の名前は勿論、
身長、当時の年齢、背番号、当時在籍していた実業団、松平氏が選手一人ひとりに付けた
ニックネームなどをすべて記憶している。
まさにバレーボールというか松平おたくだったわけだ。
私が中学でバレー部に入部した頃は新入部員だけで60名を超えた
と記憶しているそれくらい人気のあったスポーツだったのだ。
ミュンヘン以降は残念ながら右肩下がりで落ちぶれて
しまいここ4〜5年間はまさに全日本男子バレーは崩壊寸前の状態だった。
しかし今回のチームは本当に強くなっていた。
技術はもちろん何よりも精神力が強くなっていた。
想像を絶する練習を積んできた結果だと思う。
アルゼンチン戦勝利の瞬間、植田辰哉監督はコートでうつ伏せになって喜びを表現した。
インタビューで「ハッキリ言いますが、メダル狙います。」と答えた瞬間、涙で画面が滲んだ。
北京でメダルを取るまで一緒に戦おう
「がんばれ!ニッポン!」